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歴史文化ライン 丸岡城

丸岡は、天正4年(1576年)、柴田勝家の甥の勝豊が丸岡城を築き、城下町を整備したのが都市的起源とされています。丸岡城は柴田勝豊によって築城され、国の重要文化財です。外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣で石垣は野づら積み。柴田勝豊の後、城主は、安井家清・青山宗勝・青山忠元を経て慶長18年(1613年)に、本多成重に代わったが、本多氏は4代で改易。元禄8年(1695年)、越後糸魚川から有馬清純が5万石で入城し、幕末に至るまで8代続く。

丸岡城外観

丸岡城外観

丸岡城は、外観は二層で内部は三層の望楼型天守閣。現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しい姿となります。城内へと導く石段、壁の石落としや狭間などに、戦国時代に築かれた歴史建築の凄味を感じ、見事なフォルムに心惹かれる丸岡城。四季で色を変えながらライトアップされる夜の姿もまた格別です。

天守閣

天守閣

天守閣は城ならではの急な階段を登りながら、1階、2階、3階をそれぞれ堪能することができます。天守最上階となる天井の間は、本丸から約18m、麓から約35mの高さにあり、天気が良ければ四方の窓が開け放たれ、丸岡城下の街並みを一望することができます。

一筆啓上 日本一短い手紙の館

一筆啓上 日本一短い手紙の館

江戸時代に入り、福井藩から丸岡藩が分藩されると、本多成重が城主を務めました。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」この手紙は、徳川家康の忠臣 本多作左衛門重次が、長篠の合戦(1575年)の折に陣中から妻に宛てて送ったもので、短い文章の中に大事なことが簡潔明瞭に言い尽くされています。この「お仙」とは、後の初代丸岡藩主になる本多成重(幼名:仙千代) のこと。坂井市では、この日本一短い手紙を題材に全国から手紙を募り、平成5 年から「一筆啓上賞」を設け、これまでに応募された手紙は100万通を超えています。平成27年8月23日、一筆啓上日本一短い手紙の館がオープンし、過去の一筆啓上賞の受賞作品などを展示しています。

歴史文化ライン 丸岡城